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目標は自分が関わった人全員に、いつか自分の映画に出演して貰うこと!

【破】映画を撮る・撮影篇 〜撮り零しても悔いはなし!〜

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榊 祐人。 映像キャメラマンや、映像演出などの仕事をしている。 大学の頃から映画の脚本を習いはじめたのがきっかけで、 今も映画を観るのも作るのも好き。コンスタントに映画を制作する事が目標。

『たぬきがいた』は

多摩ニュータウンに暮らす市民のサポートにより

作られた地域発の作品。

オフビートな笑いを

観客に届けてくれる映画である。

 

2021年 11/2 東京都多摩市 ベルブホールにて『たぬきがいた』+『10年後の君へ』上映会

↓ 詳しくはこちら

【予約開始10/8(金)9 am~】 11/2 「たぬきと10年後」上映会開催

監督の映画をサポートするため、応援団を結成!

地元の人を中心にして、

榊祐人の映画の応援団を作ってくれました。

 

みんなで一致団結しようと、手作りのパーティを開いてくれ、

すでに決まっていた子どもキャストも招待する事ができました。

乾杯の挨拶を映画監督の先輩として、

映画監督の本田孝義さんにやって頂き、嬉しかった記憶があります。

そののち、SNSやインターネットでの人と人の繋がりにも強い本田監督が、

僕の投稿などをシェアしてくれたりして、

その繋がりで、同じく森田惠子監督に、たぬきの置物を貸して頂くことにもなり、

本当にこの繋がりはありがたかった。

森田さんとの繋がりは、自分の人生を前向きにさせてくれる出会いとなりました。

そんな繋がりがあり、森田さんが亡くなった後に、

森田作品の配給を榊が引き継ぐ事にもなりました。

森田惠子監督作品の引き継ぎ

 

団結式のあとは、多摩市のさえずりの森を子どもキャストと探険。
そして、そのあと手作りの台本を手渡しました。


自主映画では台本は、表紙なしで、

ただホッチキスで留めただけのスタイルがほとんど。

でもどうしても作りたかったのです。

理由はいろいろあるが、

台本というものを子どもキャストにも、大事にしてもらいたかったのです。

 

繋がりでロケ場所を借りる

ロケーションは小学校や商店街など、

普段はなかなか借りられない場所で撮影をさせてもらいました。

地元と関わりがある方々が協力してくれたおかげで、
制作部とのロケ交渉の際、地元民の方が、責任者に一声かけてくれたりして、

交渉がスムーズにいき、成立したこともあります。

だから、繋がりが、ホントに大きいです。

 

正直言うと、いくつかのシーンは無許可で撮影しています。

無許可撮影は確かに迷惑かけることも多々あります。本当はフィルムコミッションなどに通すべきですが、

全ての工程に正規に話を責任者に通したり、フィルムコミッションが入る場合、時間はかかる。お金もとてもかかる…。

観光客誘致がメインのフィルムコミッションは、自主映画をあまり対応できない事もあるので、

僕らは足で稼いで、交渉して、、の繰り返し。

辛抱が続きました。

 

 

が、裏を返せば、ロケハンは一人でもできるので、

自分一人で撮影場所を探しに行き、

それによって少しだけ台本に変更を加えたり…

 

低予算では、シナリオを変更したり、状況が変わったり、

とてもよくある事なので、その都度、臨機応変に対応するしかありません。

大小あれど、度々起こるトラブルにぶつかり倒れるのではなく、

スルスルっと逃げたり、または順応していくような気持ちで対応する事が大事なような気がしました。

 

子どもたちとの本読み

 

本読み。

クランクイン間近は、子どもキャストと本読み&リハーサル……イン前に

このように集まれたのは一回だけだったような。
いやぁー疲れました。(^_^;)

みんな一対一で話すと可愛いのだが、

子ども同士で集まると…話しは聞かない、ふざける、メリハリがない。。
すげー疲れた記憶があります。
ある程度芝居できそうな子、未知数な子、やや硬い子、めちゃ硬い子など(笑)…。
いろいろと安心出来ない日々でした。

 

いまでも、俳優に本読みをお願いする事がありますが、

「お芝居のニュアンスを確認する」というよりも、

自分が安心したいから、一応やるっていう感じで、

現場で梃子摺りそうな部分は、

なるべく撮影前に、前倒し的にやったほうが良いのでは…と自分では思っています。

本読みは必要ない! という監督もいますが、

僕はできる限り1度、やらせてもらっています。

 

自分が書いた台本の、書き言葉を出演者に発してもらって、

台本の調整をはかる。そんな感覚的なイメージです。

 

はじめて吉村実子さんに会う

 

クランクインまであと数日。
吉村実子さんとはじめて会いました。
マネージャーさんにお願いして、衣装合わせとは別に、

まず一度、顔合わせさせてもらいました。

吉村さんの第一印象は優しく、ものすごく相手の目を見て話す人。

自主映画への出演は、はじめてだと言ってました。

まずは出演してくれる事に対して感謝の気持ちを伝えました。

低予算の自主映画、はじめてだが、地元の人がたくさん応援してくれている映画だと言う事で安心しての出演快諾、のよう。。
(こういう箇所でも、応援団結成の効果が出た)

顔合わせはおよそ30分。

自分の映画に『豚と軍艦』『鬼婆』の吉村実子が出るんだと思った。

この撮影、もう後には引けないと思いました。

 

眠れないクランクイン前日

 

クランクイン前日。

明日は上手くいくのか、できるのか、撮りきれるのか。

役者は大丈夫か。ロケ場所は大丈夫か。天気はどうか。

自分はしっかりとカットを切ることができるのかなぁ、なんてことを考えつつ、、不安。

寄せては返す波のように、ただただ不安。眠れなかった記憶があります。

そして気付けば朝。撮影初日。

 

ついにクランクイン。
緊張しながら、集合場所の京王堀之内駅へ。
早めに到着。
高鳴る胸の高鳴りを鎮めるため、30分以上も早めに来たのだったが…

一番乗り!……と思ったら、駅前のパン屋にカメラマンの山田さんを発見。
パン食ってる…。。
早いなぁー、のんびりできないし。(^◇^;)

地元制作スタッフも来てくれたが、
技術スタッフは山田さん以外は、はじめて会う人ばかり。

はじめての技術スタッフに挨拶するが、落ちつかない。
相変わらずドキドキしながら不安でいると、

駅の方から見覚えのある笑顔。

 

サカキ応援団の団長こと村松さんと言うポジティブなおばちゃんが、

旗を振りながら、やってきた。心配してくれて駅まで来た村松さんに、手作りの旗を貰う。
なんか、嬉しい。

スタッフに一日の流れを伝え
いざ、撮影現場へ‼︎

 

撮影1日目で 子ども嫌いに

撮影一日目。
撮影現場の堀之内の公園へ到着してさっそくリハーサル。
自分自身、演出に相当なブランクがあるので(ほぼ「監督」は初体験と言っていい)、

とても手こずるだろう…と見越して初日のスケジュールは、台本に換算するとたったの3ページ。

99% 余裕で撮りきれるだろう…という分量にしておきました。自信を付けたかったのです。

敢えて初日は、超楽なスケジュールで挑み、きちんと撮りきることで自信を持とう!

と思っていたのに、

結果はまさかの1シーン撮りこぼし。

多少天候のせいもあったが、たったの台本3ページ分を撮れなかったことにショックを受け、

頭真っ白。映画ってこんなに大変なのか。

子どもキャストとのやりとりに、思っていた以上に手こずる。
正直に言うと、たったの一日で、『子ども』が嫌いになってしまった(笑)。

 

この日から主人公たくまくんの父と母、仁科貴さんと高松博美さん、更にお葬式シーンで数人の友人に出演してもらった。

子どもキャストに対し、大人キャストの”聴く姿勢”。大人が素晴らしい。

言語不明瞭の監督の演出意図(!?)を汲み取ろうとする大人の優しさに「これこそ共同作業」と思いました。

 

演技初挑戦だった伊藤ひなた。

最初は段取りなど分らず慣れなかったが、飲み込み自体は早い。

はじめてだけど、お芝居に余計なクセが付いてない分、イキイキと面白い。
しっかし、ひなたはホントによく喋る^^
誰か口を塞いでくれ……。(>0<)

そして、また1シーン撮りこぼした。
なかなか思うように、消化できないスケジュールではありました。

 

粘る所と諦める所を決める

撮影3日目。この日から、自分の中で少しやり方を変えた。

粘るべき局面、
粘りつつも進むべき局面、

ただ迷わず進むべき局面。

撮影する前に、頭の中で何度かシミュレーション。

一番最悪な状況も想定して、3パターンぐらい撮り方を考えるようにした。

・自分の理想の撮り方バージョン。

・理想まではいかないけど、まずまずのバージョン

・最悪な状況だけど、最低限のカットは撮れている妥協バージョン

上記3バージョンをざっくりと考えておけば、

どんなに悪条件になっても、撮りきれる…そんな安心感が必要だったのです。

 

 

二人の田舎パートの少年は経験者ではありました。

どちらもお芝居経験有! という事でお願いしたのだけど、少しベタなお芝居をしちゃうんだよなぁ…。

大人が喜びそうないわゆる「ザ・子ども」というようなお芝居をする。子どもの小賢しい芝居。あまり好きではない。

そんな感じなので、正直言うと、もういいやって思ってしまい、

最低限の芝居を撮って、あとは編集でどうにかしよう…なんて考えていた。

まぁ、賛否両論あると思うけど、

映画を撮りきる事を最優先事項にしたという感じです。

 

この日で田舎パートは撮影完了(だいぶ撮りこぼしているが…笑)。
さらば、田舎シーン。
いろんな人に感謝だが、家を撮影場所に使わせてくれた おっさん牧場の鈴木亨さんには感謝してもしきれない。
ありがとうおっさん。

まっ、いろいろ不安はありつつ、狸がいるという噂のニュータウンへ出発!

 

わが町。多摩ニュータウンへ

たくまの父母 校長先生役の細井学さんに
大分お待たせしてしまったあと1シーン撮影。

(細井さんも後に 『カメラを止めるな』で有名になりました)

 

そのあと実家へ行き、1シーン撮影。

全部で6シーンぐらい撮ったはず!

この日ハードだったなぁ。

 

あ応援団の方が作ってくれた豚汁、

カレー、おにぎり などみんなで食べたなぁ。美味しかった。

 

あっ、食べ物の事は、いまでもすごい覚えてる。

いつ何撮ったかは忘れるが、

いつ何食ったかは忘れない…(笑)。

 

本当に美味かった記憶がありました。

 

ニワトリ演出に大苦戦

 

 

撮影4日目(2013.7.7)。
朝からたくまの家で1シーン。
終わってから、歩いて10分の距離の小学校で2シーン。
この日から文嶋ことりさん(現 久島 有希乃)と、

村上真都ラウール(現 ラウール)が参加。

小学校での3シーン終わると再び たくま家で2.3シーン撮った。
確かこの日も撮りこぼした(笑)。毎回撮りこぼしていたなぁ。

この日は何と言ってもニワトリに、とても時間かかったなぁ。

動物演出を、舐めてました。

 

 

炎天下の中、待っていた人には本当に申し訳なかったです。

いろいろ大変だったなぁ…この日。
あんまり思い出したくないなこの日…(^◇^;)

この日から助監督で宮崎圭祐さんが来てくれた。
演出の相談が出来る、

宮崎さんの助けを借りて、

撮影を続けていった。

 

夜の屋外シーンもなんとか撮影

 

撮影5日目(2013.7.14)。この日は琢磨単独でシーンまとめてみました。

家のシーンからはじめ、多摩市の貝取、落合、鶴牧、永山と少年がひとりで街を探索するシーンをメインに撮影。

Skypeシーンやライトの灯りに気付くシーンなども撮影。しっかし、よくあんなナイトシーンやったと思います。

限られた照明で、ああいうシグナル的な画を撮るのはとっても難しい事だ。

照明3灯もすべてLEDだったので、電源を探しコードをさばくような従来のやり方では無く、

バッテリーで持ち運び自由ってのは本当に大きかった。相当な時間短縮が実現。

Skypeシーンや、部屋のライトなど、いろんな人のチームプレーを感じた日。

けっこう凄い事やってる高揚感あったな。

夜のシーンが僕は好きです。

撮影部がすごく頑張ってくれた。

琢磨少年役の伊藤ひなたは、よく喋るしよく食べる。

そして日が暮れてから何か食べると、毎回グーグーと寝てしまった。

あんまり、ひなたに食べ物を与えないでと、みんなにお願いした。
すべては完成させるため^^

映画撮影も夏休みに突入! 撮りまくる

 

撮影6日目(2013.7.20)
いよいよ夏休みに突入。
子どもキャストの平日も自由になる。

これからは撮休一日挟んでの怒涛の8日間だ。

この日から吉村実子さんも合流。
ニュータウンに長年暮らす孤独な老人の部屋に、

ひょんなことから少年がそこに訪れるようになる〜というのが、

この映画のストーリーの幹だから、ある意味いちばん大事なパートの撮影がはじまる。

吉村実子さんとは事前にリハなど出来なかったので、

やはり現場でゆっくりお互いの呼吸を掴んでいくというか…。
とても優しい方だが、やっぱり他の大人キャストの方と違い、孕んでいる緊張感もあるし、

芝居に対しての厳しさが、こう波動でこちらにまで伝わってくる感じ…。

良い役者さんて、やはり基本ナーバスな部分あるなとも思ったし、

生半可な事してるとやられるという恐怖とも戦いつつ…撮影した記憶が。

 

撮影7日目(2013.7.21)。
午前中は団地の前のシーンを撮影。
新聞配達員役は、実際に配達に関わっている友人にお願いした。
そのあと商店街のシーンを撮影。

たくさんのエキストラの方々に参加いただく。
エキストラさんの人数が多いとその分いろいろフレームの配置など、大変だった。
地元なので、中学時代のクラスメイトや、映画美学校の同期の友人なども来てくれた。

いろいろ演出意図を説明している写真があるけど、

みんなポカーン…って顔されていて、説明が下手だったのかもしれない。。

 

吉村実子さんのシーン。カット割りをカメラマンにお願いする

撮影7日目(2013.7.21)。
この日は確か、一日中、吉村さん扮するたぬき姫の家のシーン。

このシーンは二人のお芝居を観るのにいっぱいいっぱいで、

カット割りまで頭がまわらなかった記憶がある。

撮影の山田さんにカット割りをお願いして、僕は芝居を見るのに専念した。

団地の狭い空間は人物が動き回れるスペースがほとんど無い…。

それでも人物が動けそうな動線を頑張って探した。

いや頑張ったのは役者さんなのだが……まぁ『芝居を見る』という事は楽しくもあり辛い。

『たぬきがいた』のたぬき姫の部屋のシーンが好きだと言う人が何人も居た。

あれライティングをとてもこだわって作ったので、画作りに関しては、

ここも撮照の力がとても大きかった。

 

実際の小学校・在校生に出演をお願いする

撮影8日目(2013.7.23)。

この日は一日中 小学校での撮影。

ロケで使わせてもらう多摩市の小学校に実際に通っている生徒さんにもたくさん出演してもらいました。

撮影を通して、最も賑やかな一日となった。

子ども達はもちろんだが、裏方としてサポートしてくれた人もとても多かった。

バタバタして自分としては振り返っても最も大変な日であった。

この日の事はスポっと記憶から抜けてる。


が、おむすびや豚汁を作ってくれた方々のおかげで
食事のあとには多摩市の子と、

多摩市以外のキャストの子ども達がグンと仲良くなっていた。

子どもはすぐ仲良くなれるところが良いな。
大人はそう簡単にいかないからな。
多摩市の子どもにとっての映画初出演は良い思い出になっただろうか。

 

走るシーンに子どもたちは楽しげ。大人たちは苦しげ

撮影10日目(2013.7.25)。

この日は、多摩市を主人公の琢磨、まいとラウール扮する中島が駆け回る。
二人以外にも、ヤンキー役として友人の俳優に参加してもらう。
ストーリーの流れとしては、ヤンキー登場から後半部分へと展開していく。

走るシーンがほとんどの一日だった。

子どもは走るの大好きだけど、ヤンキー役の3人は20代後半。

最後の方、走るシーンばかりでヤンキー3人が辛そうだったのを覚えている。

ただ頑張った甲斐あってか、上映会に観に来てくれた子どもたちに、

ヤンキーが出ているシーンってけっこうウケてた。

 

(続)

パート1 【序】映画を作る ・準備篇   ~ 『たぬきがいた』って何それ?~はこちら ↓

【序】映画を作る ・準備篇   ~ 『たぬきがいた』って何それ?~

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榊 祐人。 映像キャメラマンや、映像演出などの仕事をしている。 大学の頃から映画の脚本を習いはじめたのがきっかけで、 今も映画を観るのも作るのも好き。コンスタントに映画を制作する事が目標。

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